女は愛されて結婚する方が良い。女の恋は愛されるのではなく愛し追いかける方が良い…と、そんなことを考えているのだ。
人を好きになることが楽しい恋愛と結婚は少しニュアンスが違う。婚活を成功させるには、いかに自分を愛し大切にし続けてくれる男性を見極められるかどうか? それが婚活におけるキモかもしれない。
そういうことを意識しながら、自分主体、つまり自分が好きかどうかを軸にして結婚を考えた過去の婚活経験を振り返ってみよう。
あたしのお見合い経験数は10回…。
婚活サイト経由での交際とか婚活デートとか、いわゆるネット婚活系の結婚活動は除外して、昔風の〝お見合い〟が10回ってこと。
――私の母が近所でも有名なお見合いおばさん(お見合いの話を持って来ては「どうですか?お宅の息子さんに」みたいな感じで薦めまくる人)でそのエジキ、イヤイヤその恩恵に預かってなんと私は22歳で初お見合いを経験していた。
恋愛下手で、結婚についてもなーんにも考えていなかったボケボケの私は、母親に「お見合いしなさい!」と脅され素直にそれに従った。
相手は29歳の頭が少し薄い小太りなサラリーマンだけど、勤務先は一流企業。
会った瞬間「げっ、全然カッコよくない」と思ったあたしは、乗り気じゃない態度で当日を過ごした。
でも、表面上の愛想だけは良く聞き上手に徹していたのだ。(それが後に裏目に出るとは知らず……)
疲れ果てて帰宅すると母親が期待に満ちた顔で…
「どうだった?」と聞いてくる。 そうして、
「すごく疲れた」と一言だけ言い放ち自分の部屋へ直行し、ふて寝してた。
その日の夜、お見合い相手を紹介した人から電話があり「理想の女性なので、是非お付き合いして欲しい」との返事がありました。
けれども、私は即効でそれを却下し、母親が先方にお断りの電話を丁重に入れ、初めてのお見合いはあっけなくお流れとなった。お見合い相手は自分を高く評価してくれても、自分主体で好きになれそうにないインスピレーションでもって即行、結婚対象ではないと判断したからだ。
お見合い相手の男性は、あたしが楽しそうに話を聞いていたので、楽しい時を過ごしたと感じたみたい。で、それで「気が合う!」と解釈した模様だった。これ、単にあたしがが話を合わせていただけだったのに。
しかし、今思えばそのお見合い相手、小太りで頭が少し薄かったとは言え、なかなか良い人だったのよね。いい男じゃないけれど良い人って感じ。性格も優しくて気配りが出来て……そのうえ一流企業に勤めてたし。なんていうか、普通の誠実な男性。
こういう男性こそ、誠実に末永く自分を愛し続けてくれる?なんて振り返れば、ちょっと後悔というか、やはり女は愛されてナンボ?
恋愛よりの結婚ではなくて、人生設計的な婚活を考えられる今なら交際していたかもしれない。でも、当時は親が婚活モードなのに自分は恋活モードみたいなギャップがあったのは事実。結婚を打算的に考える年齢ではなかったような気がするのだ。
当時のあたしは結婚相手の理想は今よりも数段高く、「彼氏にするなら結婚したい男優ランキングに登場するようなタイプの男を探していた」
カッコよくて優しくておしゃれな人! なーんて、まるでおさない女の子だった。
やっぱり本気で結婚したいなら、顔だけで男を選んだら痛い目みるしなー。
波長が合わないって言うか、生理的に受け付けない男性なら仕方ないけど、それをクリアしてたら優しい目で男性を見てあげる必要あるのよね。
そういう思考が芽生えてきたのもアラサーになってからだ。
ところで、女は愛されて結婚するのが幸せって、良く聞く。
あたしが初めてこの言葉を聞いたのは21歳の時。
「えっ、愛された方が幸せって、じゃあ、女は男のことを嫌いでもいいわけ? 男から好かれていればそれで丸く納まるってわけ? えーっ、そんなのおかしい。恋愛じゃない。恋愛って相思相愛のこと言うんじゃないのー?
でも結論から言って、これは真実かもしれない。もちろん、愛されていれば自分が相手のこと嫌いでもいいって訳じゃないが。
「愛される割合が、自分が相手を愛する割合よりも大きいほうが幸せ」って意味なんだろうな。自分が相手を40%好きで相手は自分を60%好き。愛し愛される割合は6対4ががちょうど良いのかもしれないよなあ……。
だって今までの恋愛で自分が相手を好きな度合い:80%
相手が自分を好きな度合い:20%
で、うまくいったことないし! そういう関係は結局、都合のいい女で終わっちゃったからね。デートの度に私ばっかり気を使ってたわりには結局フラれるんだから、ましてやその人と結婚なんて出来るわけないのだ。
では……あたしが考える結婚できる恋愛の独自論!
自分40%、相手60%の好き好き度が結婚できない大人女子にはちょうど良い恋愛関係ではないかと思うのだ。
実際、そういう比率の恋活を目指し始めたのは20代半ばだった。(それまでは婚活相手にフラれた経験が物語るように、散々自分に興味を持ってくれない男を恋愛根性で追い掛け回して玉砕したり、逆に、全然好きじゃない人に追い掛け回されて逃げ回ったりしてたのだ)
「私は、結婚する為に本気でがんばれているだろうか?」
今、ふとそんなことを感じている。
自分が思う理想的な好き度を維持しながら、婚活相手がなるべく早くあたしと結婚したくなるような作戦を練る! それこそが〝本気で婚活しているか?〟なんだろうなあ……
女って、男と違って生態的に恋愛期間が短いから婚活には本気で努力しているかどうかがカギとなる気がする。男は結婚しないままズルズル年齢を重ねても、経済力とか容姿とか、相応のスペックがあれば40代後半まで結婚しない人って少なくない。けれど、女はそうはいかないから。妊活とかお色気とか女としてのスペックは年齢がひとつ上がれば上がるほど確実に需要が減るのは事実。だからこそ「私は、結婚する為に本気でがんばれているだろうか?」という問いを自分に立てながら婚活に挑むことは自分への至上命令だったりするんだろう。
で、結婚するための恋愛をするには、そもそも自分を好きになってくれた男性と交際するのが良いと、最近強く感じている。
今までなら、自分が「素敵」「かっこいい」と思う男性しか眼中になく、自分にアプローチして来る人のことはことごとくスルーしていたことも多かった。婚活において重要な機会損失とはこのことを言うのだろう。
結局、男性を追いかけてばかりの恋愛をしていると、女性って幸せになれないのかしらん? 女は愛されてナンボ…これ、なんとなくわかりだした自分。
振り返れば、「自分が素敵!って思える男性じゃなきゃ付き合ったってつまらないし、ときめかない」って信じていたあたし。
でも、意外や意外、アプローチして来た男性とためしに付き合ってみたらこれが楽しかった! お姫様扱いしてくれるし、好き好き光線出してくれるし、大切にしてくれるし、最高なのだ。
すると、こんなことが浮き彫りになってくる。
今までの自分に足りなかったのは「アプローチしてくれる男性の長所を見つけようという気持ち」せっかくアプローチしてきてくれたのに「顔が好みじゃない、却下」「話が合わない、却下」ってやってりゃ…そりゃ、結婚できないって。
もっと優しい目で男性を見てあげる必要があったのよね。だって婚活デート1回したくらいじゃ、その人のこと理解出来るわけない。少しくらい自分の好みを外れていたってデートしてみたら意外と素敵な面が見えたりするもの。そういう断片的な胸キュンが積み上がることで結婚へとつながる交際になったりすると思うのだ。